3.11を忘れない みやぎ生協から被災地・宮城のいまをお伝えします
【第15回 2014年11月5日】 待たされる家選び、慣れない住み処
被災地では災害公営住宅の建設が本格化するとともに、被災した人々の入居登録が進んでいます。
入居希望者は自分たちの生活再建計画を念頭に、立地や完成時期、入居条件を見て災害公営住宅を選びます。しかし誰もが望み通りに入居できるわけではありません。抽選に外れれば次の募集を待つことになり、その分、新生活のスタートも遅れます。
「いつになったら引っ越しできるのか」「家が決まるまでは仕事や子どもの学校など将来の計画を立てられない」。なかには「抽選に外れ、辺鄙な場所を選ぶしかなかった」人や長期の避難生活に家族関係が破たんし、災害公営住宅の申し込みを機に離婚に至った人もいます。
高齢者の多くは災害公営住宅を終の棲家と定めますが、慣れるには時間がかかります。
被災前に住んでいた地域が農漁村であればなおさらでしょう。「4階に入居した身体の不自由な高齢の夫婦が、エレベーターが止まったらどうしようと心配していたり、下りる階を忘れて迷ったり」。南小泉のみなし仮設住宅に住む大久保紘子さんがそんな話を聴かせてくれました。
経済的な不安もあります。「入居時に敷金3ヵ月が必要。家具も買わなきゃならないし、引越し補助金が出ても負担は大きい」。当初は安く設定された家賃も、数年後には見直しで負担が増します。
入居先での孤立を防ぐにはコミュニティも重要な問題です。「仮設住宅の集会所はオープンにしているところが多いけれど、災害公営住宅の集会所は鍵をかけてしっかり管理されてるでしょ。気軽にふらっと立ち寄ることはできなくなる」と花渕みどりさんは心配します。
家も集落のつながりも失った人たちを待ち受けているのは、震災がなければ直面することもなかった人生の選択と厳しい生活です。せめて希望した災害公営住宅で人の縁にも経済的にも安心できる生活を送ってほしいと願わずにはいられません。