その赤色は
津軽のりんご農家にとって、戦後の日本は「りんごの歌」と共に始まったのかもしれない。経済復興の階段を駆け上がる世情の波に乗るかのように、一大産地へと成長を遂げた青森のりんご。それは人々の希望の象徴でもあった。しかし昭和30年代の後半から陰りはじめた生産は、昭和43年に莫大な数が山野に投棄されるまで凋落する。
そんな時、もとは病気予防だった袋がけ作業を、青りんご(陸奥)にためした生産者がいた。真っ赤に変身したりんごは都会で高値がつき、もてはやされる。見た目で売れることを知った生産者たちは、競って色と形のよさに没頭。ふじや王林など他品種にひろがるまで、それほど年数もかからなかった。以来、りんごの赤は生産者にとって至上命題となった。
素朴さに秘めた味
りんごには赤・黄・緑の3色がそなわり、太陽と季節の温度変化で色がかわるという。夏にたっぷり太陽を浴びれば黄や緑が強くなり(前述の陸奥の例)、秋の陽ざしと低温で赤くなる。特に秋の陽ざしは、鮮やかな「紅」のために欠かせない。多くの生産者はりんごの実に光を当て着色をよくしようと、収穫前に実のまわりの葉を取り去ってしまう。ただ、それと引き替えになるもの──光合成のもとになる葉を失った分だけ──果実に糖分などが届かない。
樹々の葉を摘む手間をかけ、丹精したりんごは美しく、気品がある。それにくらべ自然のままに葉を繁らせて実るりんごは、どちらかといえば質素で素朴だ。でも、「これ、食ってみろ」と生産者が手で割ってくれた「葉とらずの実」を口にしたとき・・・・甘酸のバランスがとれた緻密な果肉と、のどをうるおす果汁は、青空に映える岩木山よりも鮮烈な印象を残した。
強い想いの中で
我が国りんご生産の雄、青森県は岩手山麓にコープの指定産地がある。1枚も葉を取らない「完全な葉とらず」りんごで味の追求に余念がない生産者たち。冷涼な気候、降雪までの微妙な気象条件の中で、ギリギリまで果実を樹上に置き、熟度を十二分に上げてから収穫する姿勢にも「葉とらず」に対する強い想いがうかがえる(急激に気温が下がるとりんごが凍結してしまうため、降雪間際の収穫には大変な苦労がともなう)。
ちなみにサンふじのサンは「サン=無袋」に由来している。国光とデリシャスの交配種で、最も人気のあるりんごのひとつだ。