歴史
醤油のルーツは8世紀頃の「ひしお」だといわれる。中国から伝わった醤(ジャン=ひしお)には、複数の種類があった。その中に大豆を用いた穀醤(こくびしお)があり、それが味噌や醤油に発展したと考えられている。
鎌倉時代になると径山寺(きんざんじ)味噌の製法が紀州(和歌山)に伝わり、味噌(醤)から分離した液体(たまり醤油の原形)を調味料として珍重しはじめた。それは紀州から関西へ、やがて関東に広がった。そうして江戸時代になると小麦や大豆を原料に、現代の「こいくちしょうゆ」に近いものが流通する。もはや醤油は、日本人の食に欠かせない調味料となっていた。
伝説の舞台
醤油の醸造には麹菌が欠かせない。大昔はまさに風まかせで自然な付着を待った。やがて麹座(麹商人)が現れると、原始的な方法ながら種麹の使用がはじまる。
優良な麹菌(醤油麹)を用いるようになったのは明治になってから。今野清治が寛政12年(1800年)創業・河又醤油の醸造現場で、培養菌による醤油づくりに成功して生まれた。このような背景から、我が国初の純粋培養した麹菌の名を「今野菌」「河又菌」と呼ぶ。そして───コープこいくちしょうゆを製造する大醤(株)の前身は、伝説の舞台となった河又醤油だった。
少しでもよいものを
コープこいくちしょうゆには、今も明治から受けつぐ河又菌を使う。メーカーでは主に国内で脱脂加工した大豆、工場でひき割った小麦に種麹を混ぜ合わせ、室(むろ)で三日二晩かけて「しょうゆ麹」を製造。この時、通常よりも多く種麹を用いることで品質の向上を図っている。
仕上がった「しょうゆ麹」に塩水を加えて発酵・熟成をすすめると「もろみ」に。一般よりも食塩水の量をひかえることで、塩分を抑えて旨味分を多くしている。そして「もろみ蔵」でさらなる発酵を。均一な発酵熟成を促すため、
長いパイプから空気を送り込んで攪拌(かくはん)する地道な作業が続く。そのタイミングや空気の量を決めるのは、職人の経験とカンだ。
量産普及品では半年程度で発酵を終えてしまう場合も多いが、コープこいくちしょうゆは最長7ヵ月半をかけて色・味・香りを出す。この季節、厚みのある味わいは、焼きたてのホタテ貝やハマグリ、あるいはゴマ、鰹節をたっぷり振りかけた焼茄子に、とてもよく合いそうだ。