千葉から愛知、そして宮崎へ
かつては千葉県が主産地だった切干大根(千切大根)。やがて愛知県へと生産が移った明治の末頃、農家の次男・三男たちが宮崎県へ移住したことが、大きな転機となった。昭和20年以降は自動車や楽器産業などが愛知県で急速に発展したこともあって、大根農家が急減。今ではその大半を宮崎県で生産する。
切干大根に使う「耐病総太り」という品種は、やわらかくて甘味があり、とても大きくなる。ふかふかに耕した、水はけのよい畑に種をまくのは9月。気温が下がって季節風が吹きはじめる12月の末頃から収穫がはじまる。
変わらない「農」の風景
濃いみどりのさざめきへ、一礼するように大根を抜いてゆく人々。まるまると太ったそれを、その場で水洗いして木製の小さな箱へ。カタカタと発動機の音が鳴りはじめると、中では扇風機のように刃がくるくるとまわる。やがて千切りとなった大根が、いくつものひかりの珠を滴らせながら白く積み上がる─16年前(当時は、ならコープのプライベートブランド品)に見た畑の風景。あの時とおなじ空の下で大根がのびやかに育ち、陽を受けてかがやく葉は、りん、と音が聴こえてきそうにそよいでいる。
生産のしくみは、今もまったく変わらなかった。ちがうのは大根をその場では洗わないこと。農家の庭先で自動ブラシ機に入れたり、小屋の中で作業する。そのまま千切りもおこない、トラクターに積んでくる人が昔ながらの「手撒き」を続けていた。つめたく透きとおった風に吹かれながら、重いざるに腰を曲げて撒くおじいちゃん、おばあちゃん。その背中がだんだん小さくなって、あとに絹を想わせる白い帯が現れる。
逆にまるの大根をそのまま積んでやってくる人が、最近主流の機械撒きになる。トラクターの荷台には山積みした大根と、千切りするための機械が据えてある。お父さんがゆっくり、ゆっくりトラクターをすすめながら、お母さんが荷台の機械で千切りに。それはつぎつぎに干し台へ吹き飛んでゆく。
ぜひ、「守りたい」一品
工場では異物対策にたいへん力を注いでいる。天日での自然乾燥は「さまざまに飛んでくるもの」を避けられない。「色目」も乾燥状態によって変化がある。天気(=晴天)という難しい相手をうかがいながら、手間をかけ労力を惜しまない生産者たち。雨が降れば夜中でも飛び起きてシートをかけにゆく姿を、工場もよく理解している。異物だけでなく、見栄えの悪い部分を取り除く作業もすすめている。ただ、その上で価格を争点に海外産品や機械乾燥との競合がすすめば・・・・果たして商品の「未来」を決めるのは─?
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