土佐・黒潮一番地
新しい船ではじめて漁へと向かうとき、黒潮の漁師は必ず海に祈りをささげる。それは滅多と見られるものではないけれど、船首にたつ神主が祝詞(のりと)とともに法螺貝を吹き、男たちが酒や塩を撒く姿がそこにある。自然のひみつが科学の力で次々と明かされる今の時代に、豊漁を祈願する彼等。その顔は新しい船への期待と喜びをかみしめながら、真摯な表情をたたえる。やがてすべてが終わるとき、大漁旗をはためかせた一艘の船は、空と海の青に包まれ消えてゆく。
鰹漁に生きる人々が暮らす町・黒潮町。
葉たばこ・稲作が盛んな大方町と、一本釣りを生業とする佐賀町が合併したのは平成18年。真夏の夜、満月を浴びて大移動する神秘的な蟹の姿、波をゆく鯨の群れ、そして鰹のたたきづくり体験が内外から人を呼ぶ。
土佐造りともいわれる高知の郷土料理・鰹のたたきは、その香ばしさに魅力がある。地元では古くから藁焼きや松葉、炭などの焼き方が試されてきたが、現在は「わら焼き」が定着。海を望みながらも米づくりに励む土地で、人々は一瞬に強い炎をあげる稲藁の特長を巧みに利用、その表面だけを薫り高く仕立てる術を身につけた。
商品は、そんな町から私たちに届く。メーカーは今も漁船を抱え、働く人々には漁師の末裔(まつえい)が多数いる。
三陸沖の戻り鰹
黒潮の使者・鰹は、日本列島をかすめながら秋には三陸沖へと北上する。つめたい海流に備えてたっぷりと脂ののった「戻り鰹」は、舌をよろこばせる旨味をもつ。商品の原料には、この鰹を一本釣りして船上で凍結、焼津港(静岡県)で水揚げしたものだけを使っている。凍結したまま現地で節に加工した鰹が直送されて、工場での作業がはじまる。
藁焼きのかなめとなる稲藁は、地元の契約農家が手で刈り取ったものだという。それは、昔どおりの「長い束」でなければならない。それは、輸入の押しつぶされたものでなく、茎がまるいストロー状で、空気をたっぷり含むものでなければならない。このこだわりが窯の中で火炎をあげ、鰹に伝統の香りを閉じこめる。直後にはガスの炎を使って焼きを固定するが、「この順番を逆にした場合は?」との質問に、「焼け目はつくが、香りはほとんどつかない」とすぐに言葉が返ってきた。
地元では・・・・
土佐清水市から中村市、そして黒潮町あたりでは、鰹の心臓を「うすご」と呼んで珍重する。誌面で紹介する「こぶり」や「こぶり汁」をつくったり、内蔵をとった鰹を干しあげて正月の縁起物にもする。ちなみに「たたき」のいわれは、身に塩をつけ軽くたたいたからだという。
漁師が釣って漁師が焼いた魚には、やはり海の結晶がよく似あう。
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