海辺の町で
平成16年、南部町と南部川村が合併して生まれた、みなべ町。あふれる太陽と海を望む、我が国で屈指の梅の町。紀伊田辺産「やぶ梅」の名で、江戸の町へと海路を渡ったむかしから、このあたりは梅干の産地として名をはせた。その美しい花とともに、人々が品種改良へかけた熱意には、とても長い歴史がある。
種が大きく果肉が薄かったために消えてしまった六太夫梅が生まれたのは江戸時代。山林で見つけた良木を母樹に、内本梅がひろがったのは明治のこと。その内本梅から現れた、さらに大粒で美しい紅をさす1本の木・・・・高田家に伝わり、門外不出といわれたものを小山貞一という人が譲り受けた頃、時代は昭和へと代わっていた。苦心の末、その梅の実が注目を浴びたのは昭和25年。地域で最優秀と選ばれたその品種は南高と名付けられ、今は「南高梅」として親しまれている。
出荷までの日々
紀州産南高梅干は大粒で種が小さく、果肉が厚く柔らかいことに特長をもつ。梅づくりに適した気候や土壌、剪定の技術や樹上での完熟、手作業の天日干しなどがそうした美点を支えている。
花が満開になるまでの冬、生産者は太陽のひかりが充分にゆきわたるよう、木々の枝を丹念に剪定する。2月の中頃になればミツバチの巣箱を置いての受粉がはじまり、やがて6月の雨を浴びて青梅が大きくふくらむ。市場に出る漬け梅用を収穫すると、ブルーのネットをひろげて加工用の収穫へ。樹上で熟して、ぽとり、と落ちてゆく実をネットがやさしく受け止める。
かつて、みかんの栽培をおこなっていたところも多かったという急傾斜地で、生産者たちはその日に落果した梅をその日にあつめ、洗浄・選果を急ぐ。1ヵ月以上にわたり塩漬けした梅は、南紀の太陽を存分に浴びて天日干しに。家庭での梅干づくりとおなじく、ひと粒ひと粒を手で返しながらの作業になる。
A級品からC級品、等級外と選別を受けた梅は、シール(生産者名・等級・サイズ・干しあげ日を記載)を貼った梅樽に入れ、メーカーへ。工場では洗浄や選別・塩抜き・調味の工程を経て商品を出荷する。
ネーミングとの差
商品名に「はちみつ」の文字があるものの、実際は微量。さとうきび・甜菜(てんさい/砂糖大根)に由来する上砂糖を使って求めたのは、梅本来の味が生きるマイルド感。ごはんと一緒にほおばってみれば、ちゃんと「米粒の甘味」も感じる。逆に「はちみつを入れ忘れたのでは?」との声があるようだけど、メーカーは梅干の酸味は残しておきたいのだと語っていた。
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